2009年12月
宝探し
私のパラオへ来る前までの仕事は職業ダイバーで、30年以上毎日のように海に潜っていました。
仕事は、タンクやレギュレーターなどの装備もレジャーダイバーと変りはないのだけど、極端な違いは状況。
東京湾の奥の隅田川で手元も見えない真っ暗な所で手探りで作業をしたり、水深80メートルの海底で沈船の引き揚げをしたこともあります。
いろんな業務があって、時には楽しい仕事もあるのだけど大抵は過酷な重労働で、特に深海での作業の直前には精神的重圧で海に入る前から苦しくなることもあります。

こんな仕事をしてみたいと思い始めたのは、20歳ころ沖縄を旅行していた時に、サンゴ礁の海で小さい船が大きなシャコ貝を引き揚げているのを目撃して、その少し前にフランスの映画『冒険者たち』で宝探しをしているのを観て、こんなことを仕事としてやってみたいと思うようになりました。
今までにも実際に探し物をする仕事も多くあったのだけど、警察からの依頼で遭難者(遺体)の捜索や、太平洋戦争時代の機雷や魚雷を見つけることだったりであまり楽しいことではありません。

十数年前にある宝探しの話があって、大正の頃にある場所で、嵐があった後の浜辺に陶器のかけらがうち上がるので、潜水士を入れたら古伊万里の皿が多数見つかり、それが300年位前の交易船が沈んだ物として1枚が百万円以上の値段がついて現存しています。
だけど、その引き揚げの記録はほとんど残っていないので場所も限定できなくて、今では忘れ去られた○○島の伝説くらいになっていました。

大正時代に引き揚げをした潜水技術の限界も、今であればもっと可能なはずで、私のごく親しい知人は長年この記録や史跡を探していて、ついにある物を見つけたので探しにいこうということになりました。

それが場所を特定するその浜から見た風景の手書きの簡単な絵で、左はそれを今思い出しながら復元した絵なのだけど、ここまではまるで作り話のようでしょう?
ただし、もし発見したとしても埋蔵文化財にあたるので国の物になり、わずかな報奨金くらいしかもらえないらしいので密かにやるか、あるいはテレビ局のスポンサーをつけて大きくやるかでは皆が集まって相談をしました。

漁船を手配して、絵の中にある沖合いの島が手前の地形と重なる砂浜の場所を探して回り、何日目かに見つけた場所は、まさに絵の中の風景そのものでした。
ポンプで強い水流を作り、海底の砂を吹き飛ばすように掘っていくとすぐに皿のカケラや茶碗が出てきました。
ただ、その後も何日か広い範囲で探してもカケラ以上の物は見つからず、これ以上続けるのは微妙なところです。
100年近く前には海底の砂地の表面近くにあった沈没船が、砂の移動でかなり深くまで埋もれてしまったか、今もよくわかりません。

カケラには価値はないかもしれないけど、一枚の絵から行動を起こして、その場所を確定できたことに一応は満足です。
またいつの日か、発見のニュースが出るかもしれないし、あるいはひっそりといつの間にか私がお金持ちになっていたらそれは・・・・